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いくつになっても足るを知ることができない件について。

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かの有名な、京都にある龍安寺に行ってきました。

最近は新型コロナウイルスの感染者数の増加がすごい勢いとなっていますね。

私も2週間前に感染したのですが、時間の流れとは非常に怖いもので、あれだけ辛かった療養期間も今ではすっかり昔のことのように感じます。

思えば家族揃ってコロナに感染した今年の夏。

自粛期間の影響で、初めての夏にどこにも出かけられなかった息子のために、せめて一日だけでも夏らしさを感じるところに連れて行ってあげたいと思い京都へ行ってきました。

京都といえば観光名所が沢山ありますが、中でも龍安寺は石庭で有名です。

歴史の教科書にも載っているくらいなので、誰もが一度は見たことがある風景だと思います。

実際、生で見る石庭は非常に綺麗で、暑さも忘れてしばらくの間見惚れてしまいました。

ただ、石庭もとても有名なのですが、龍安寺には、この石庭と同じくらい有名なつくばいがあります。

龍安寺のつくばいには『足るを知る』という意味の吾唯知足という言葉が刻まれていて、これも知る人ぞ知る有名な観光スポットの一つです。

『足るを知る』

最近、いくつかの足の勉強会に参加する機会があったのですが、その際によく本題に入る前の雑談の一種として、この言葉の意味を聞くことがあり、是非一度生で見てみたいとずっと思っていたんです。

現在の自分に満足する。

今目の前にあるものに対して感謝する。

諸説ありますが、足るを知るという言葉には、お金やモノ、承認欲求などの欲望に自分を振り回されたり、他人と比べたりして人を妬んだりすることのないように今の状態に満足することが大切であるという意味があると言われています。

個人的には、人間は親からもらった健康な足さえあれば他に何も必要ないんじゃないかと思っています。

丈夫な足さえあれば、いくらでも稼げるようになるし、どのようなモノでも手に入れることができるから、そういった意味でも、足るを知るという言葉には足という文字が使われているのかな?と想像したりしています。

「足るを知る。」

非常に深い意味を持つ良い言葉だと思いつつも、ただ、欲望を持つことってそんなにいけないことなんでしょうか?

モテたいとか、良い車に乗りたいとか、良い女と付き合いたいとか、良い家に住みたいとか、良い女を抱きたいとか、良い女を抱きたいとかetc,,,,,

欲望があるからこそ、それを手に入れるために努力するし、欲望を本気で叶えようとするからこそ、計画を立てて行動をするのではないかと思います。

成功している経営者とか欲望まみれですよね。

実際、筆者の周りにいる経営者などに話を聞いてみても皆欲望にまみれています。

私自身も欲望があることは非常に良いことだと思いますし、変に隠すよりも、自分に正直に欲望をむき出しにしている人の方が逆に正直で好感を持てます。

私もご多忙に漏れず、欲望に溺れている一人なんですが、今年は特に物欲に溺れてしまっています。

今年に入ってからというものの、腕時計とかスニーカーとか鞄とかをちょくちょくちょくちょく買ってしまい、、、

最近、流石に色々と買いすぎだなと思い、恐る恐る計算してみると、いつの間にか総額で10万円以上を費やしてしまっていました。。。

今年に入ってから買ったモノたち。

どれも絶対必要なモノではなく、むしろ必要か必要でないかでいうと全く必要ではないし、決してお金に余裕があるわけでもないのですが、気づいたらどうしても欲しくなってしまい買ってしまうんです。

全く足るを知れていません。

愛する息子が生まれ、ずっと乗りたかった車も購入して、もうこれ以上は何も欲しくないし望まないと思っていた矢先、止まることの知らない物欲に溺れてしまっています。

なぜ自分は最近、これほどまでに物欲に溺れているのか?

ふと考えてみると、しばらくの間柔術から距離を置いていることが原因ではないかという結論に至りました。

柔術って、競技自体が非常に面白く魅力的なだけでなく、柔術着にもカッコイイものが多いですよね。

柔術から離れて柔術着にお金を費やすことがなくなったことによって、他のモノに物欲が流れてしまっています。

柔術着にお金をかける柔術家と柔術着に全くお金をかけない柔術家。

前者は3万円弱する柔術着を年間に何着も買って、家には着ていない道着が沢山あったりする一方で、後者は入門用に買ったであろうボディーメーカーとかの安い道着を襟元が真っ黄っきになるくらいまで使い倒す。

お金の使い方は人それぞれですし、道着の良し悪しによって、柔術のパフォーマンスが大きく変わるかというと、正直そこまで大差ないので(強い人はどんな道着着ていても強いですしね)道着にお金をかけるかどうかは、ただ単にカッコイイ道着を着たいかどうかに尽きるわけです。

私の場合は間違いなく前者で、ただ単にカッコイイ道着を着たいといった目的で道着をよく買い漁っていたのですが、それが今はすっかり着る機会がなくなってしまったので、部屋の片隅に眠っています。

手に入れた瞬間に価値の下がってしまうモノなんて、本当の意味での価値なんてないし、人間は必ず飽きる生き物なので、そういった意味でも無駄なお金を使うことなく手元に置いておくためにも足るを知るという精神は大事なのかも知れません。

皆さんは欲望の良し悪しについてどう思いますか?

ABOUT ME
トミショー
ブラジリアン柔術が生きがいです。 柔術家に関する役立つ情報や、柔術に関する面白い記事を書けるように努力していますので、是非サイト内を色々と回ってみてください。